今年も秋の高ソメキャンプ場へ 2

標高1250mの高ソメキャンプ場。朝の4時の気温は3℃。運転席でダウンシュラフを掛布団にして眠ったが、それほど寒くは感じなかった。いつものように9時過ぎから撤収開始。回りのキャンパーたちは乗鞍岳の眺望を楽しんいる。どこからか現れた子供たちが釣り池の周りを走りマワル。キャンプ場の日曜日が始まったばかりだが、自分は次のミッションのため10時頃から撤収を開始した

松本市奈川から白樺峠を越えて乗鞍高原・白骨温泉へ向かう「上高地・乗鞍スーパー林道」は9月の台風10号の影響で奈川~白樺峠間が通行止め。事前にその情報を得ていたため帰路は今回は初めての「野麦峠」越えを計画していた。

↑ 野麦峠へ続く旧・野麦街道。
野麦峠と言えば「あゝ野麦峠」「女工哀史」である。

「あゝ野麦峠」は、小説家山本茂美が1968年に発表したノンフィクション文学。明治から大正にかけて、岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。吹雪の中を危険な峠雪道を越え、懸命に就業した。大日本帝国の富国強兵の国策において、有力な輸出貿易品であった生糸の生産を支えた女性たちの姿を伝えた。山本は執筆に当たり、10数年におよび飛騨・信州一円を取材し、数百人の女工・工場関係者からの聞き取りを行った。出典:Wikipedia

1979年には大竹しのぶが主人公の「政井みね」を演じ映画化されている。その昔小生がまだ若かりし頃、学校の映画鑑賞で観た記憶がある。

野麦峠の標高は1700m弱だが、画像は無いが標高2000mを越えた程度の周辺の山でも山頂は薄っすらと雪化粧していた。

カラマツが黄色に染まるのは、ほんの一瞬のような気がする。成長が早いことから戦後カラマツは建築材やパルプ原木の材料として植林されてきたが、中部山岳地帯であるこの辺りカラマツは天然ではないだろうか。参考までに上高地河童橋周辺のカラマツ林は植林されたものだ。

↑ 野麦峠手前(長野県側)の見晴らしの良い場所から。ススキの下は崖です。

 

兄(地井武男)に背負われた”みね”(大竹しのぶ)が「飛騨が見える」と言って亡くなっていくシーンには図らずも涙した。学校に戻って女子生徒の後ろで「飛騨が見える」と言ったつもりがスカートのひだ(プリーツ)と勘違いされ「何よ」と言われたことが懐かしい(笑)。

野麦峠に建てられた「政井みね」と「兄・辰二郎」の石像。プレートには「あゝ飛騨が見える」の文字が…。

「野麦峠の館」屋上展望台から乗鞍岳を眺める。手前が「高天ヶ原」、右奥が「剣ヶ峰」、左は「大日岳(奥ノ院)」。

野麦峠を越えて岐阜県に入ると道幅が一気に狭くなる(笑)。すれ違うのに難儀する難所が幾つもあるから要注意。時期柄落葉が道路の半分を埋めており狭い道幅がさらに狭くなっている。その為かバイクの通行は少ない。

キャンプでの汗を流しに旧高根村の「塩沢温泉 七峰館」を訪れた。閑静とはまさにこのことだろう。時折国道361号を走る大型バイクの轟音が聞こえるが、それは一瞬で直ぐに静けさが戻る。

貸切だったので男湯をパチリ。左の窓からは屋号の元になったと思われる「連なった七つの峰」(の内の四つの峰)が見える。

日帰り温泉大人520円も割とリーズナブル。旧高根村方面にはなかなか来ないが機会があればまた訪れたい温泉だ。

昼食ととる機会が無く下呂まで南下。コンビニで菓子パンとコーヒー、それにフライドチキンを買って食べながら帰路に就いた。国道41号の小坂町門坂では7月の豪雨で崩落した場所の工事が進んでいたが、全面復旧にはまだ時間が掛かりそうだ。


登山ランキング

にほんブログ村 アウトドアブログ 軽登山・トレッキングへ
にほんブログ村

1+