坂の上の雲のミュージアムと松山城。

2019年1月1日の朝は愛媛県松山市のビジネスホテルで迎えた。目的地の「坂の上の雲のミュージアム」までは前夜車を停めた駐車場から歩いて15分程。開館時間の9時まで数分を建物の外で待機した。

建物は建築家安藤忠雄が設計。「周囲の自然環境に配慮した外観と安藤氏がイメージする『坂の上の雲』を表現した空間となっている。」とのことだ。

小説「坂の上の雲」は、「産経新聞」の夕刊に1968年4月22日 〜1972年8月4日にかけて、足掛け4年半にわたり連載された。構想期間も含めると10年に及び、司馬遼太郎は40代のほぼすべてを費やしたと言われている。明治維新を成功させて近代国家として歩み出し、日露戦勝を勝利するに至るまでの勃興期を、松山市出身の秋山兄弟と正岡子規を中心に描いている。小説はもちろん読んだが、2009年から2011年にかけて放映されたNHKドラマも印象深い。

元旦の朝ということもあって来場者も少なく、ゆっくり見学することができた。ミュージアムには所蔵するものや寄託されたものを含めて膨大な資料が展示されている。これらの資料があったからこそ、司馬遼太郎もこの小説を書き上げることができたのだろう。

ミュージアムの窓から萬翠荘が見える。国の重要文化財だ。松山藩主の子孫が、大正時代に建てた純フランス風の建物である。

坂の上の雲のミュージアムを後にして、萬翠荘にも出向いて見たが、画像のように改修工事が行われていた(車寄せベランダの漏水補修)為、そそくさと引き返した。萬翠荘自体が松山城の城山の麓にあるが、一旦電車通りに出て、愛媛県庁の裏手にあるその名もズバリ「県庁裏登城道」から松山城を目指した。

新春マラソンの子供たちとすれ違いながら、登城道を15分程登ると本丸広場に到着する。

松山城は想像していたよりも大きく、天守も立派だった。天守のきっぷ売り場で「登城記念符」だけを購入し、入城はしなかった。標高130m余りの城山からの眺望。恥ずかしながら人口50万人都市とは露知らず、この眺望で大きな街であることを知るに至った。

松山城からの戻りは、東雲口登城道で下りた。平行してスキー場で見るリフトとロープウェイが運行している。その東雲登城道の途中に「東雲神社」があったので、そこで初詣を済ませた。前夜も立ち寄ったのだが、駐車場の近くに「秋山兄弟生誕地」があった。生憎、年末年始の休館となっており、塀の外から中を覗くのみであった。

お昼前には松山市を出て、ホテルが予約してある兵庫県三田市へ向かう。四国からは有料道路(連絡橋)を使用せずには本州に入れないのだが、可能な限り一般道を使おうと考えていた。流石に時間がかかり過ぎる為、劔山の麓のつるぎ町辺りで徳島自動車道に上がり、大鳴門橋・明石大橋を渡って兵庫県へ。三田市で宿を取ったのは翌朝、有馬温泉ルートから六甲山を登る為であった。

 

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